※この記事は2019年11月28日にパチンコ日報に寄稿したコラムの加筆修正です。
■ パチンコと、自分
今年2025年は、私がパチンコ業界にお世話になってちょうど30年という節目の年になります。
パチンコ販売業者に2年、パチンコ店に10年、そしてコンサル業を18年というものです。
今でこそ大卒者も普通にいる業界となりましたが30年前はまだまだ社会から斜めに見られる業界でした。一般の企業に就職を決めた友人たちからも「なんでパチンコに?」とよく言われたものです。
大学卒業は1995年。当時はバブル崩壊直後ということでかなりの就職難の時代でした。
そんな中決めたパチンコ業界への就職。
自分は単純に「パチンコが好きだから仕事としてパチンコに関わりたい」という想いを持って業界入りを決めたのですが、親や周囲はそうは思っていませんでした。
・こんな時代(超就職氷河期)だからしょうがない
・お前は名古屋にいて離れているから(実家は福井県)いいだろう
・ただ、見合いはないと思った方がいい
このように言われたことを覚えています。
当時22歳の私は心の中で猛反発をしました。
「自分はパチンコ業界が好きで決めたのであって、決して就職がなかったから仕方なくではない」
ただ、現実的に社会的に低くみられる業界だということは理解していました。
そのときに思ったこととして「JRA」の存在があります。
私の中での「競馬」のイメージは、赤鉛筆を耳に刺したハンチング帽のおじさんがいるギャンブルの業界、ちょっと怖い業界というものでした。
しかしJRAはタレントの積極的な起用や充実した環境整備を行うことでイメージアップが図られ、1995年当時にはすでに「趣味は競馬」と普通に会話ができるような業界となっていたのです。
「パチンコだって、今はこう(社会的に低くみられる業界)だけど、未来はわからない」
親にこのように言ったことを覚えています。
そして振り返ると30年の月日が過ぎたことになりました。
まだまだ社会的に低くみられる業界ではあります。
例えば大学生がアルバイト先を考えたとき、飲食店で時給1,000円とパチンコ店で時給1,300円なら飲食店を選ぶ方が多いかもしれません。
また、自分はパチンコ店に決めたとしても親御さんの反対にあって辞退するというケースもいまだに散見されます。
それでも30年前よりは世間の印象もだいぶん変わったかな?とも感じます。
私に「自分史」というものがあるとすればそのほとんどをパチンコに関係することで埋められるでしょう。いちプレイヤーとしての年数を加えると34年、お世話になっていることになりますからね。
私の理念は「パチンコ業界の活性化を通して、社会に笑顔を増やす会社になる。」、ビジョンは「趣味はパチンコ、と言える社会に。」です。まだまだ志は道半ばですが、このビジョンを達成するために日々活動していきます。
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